World of granshe.
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最後に
新しい人生をスタートしました。
私はとても運がいい人間だと思っています。
行きたい高校にいけたし、行きたい大学にもいけた。
Webの仕事をしたいと思っていても、なかなか就職できない人がいる中で、わたしは新卒として、正社員として、Web制作の仕事に就けた。
制作業務でなく、会社のマネジメント業務にも関わり、この年で、会社がどういうことを考えているのか、経営側の考えも、理解することができた。
新しい人生を生きると決めたときも、未経験の私を拾ってくれる会社に出会えた。
本当に、私は恵まれていると思います。
ただ、そんな自分でも、
何かを得る代わりに、犠牲にしたものがあったし、
持ちきれなくて捨ててきたものもたくさんありました。
たぶんこれを捨てたほうがうまくいくから、と思って割り切って捨てたこともあれば、
両方持とうと思ったけどどうにも持ちきれなくて捨てたこともあるし、
たぶん、別のほうを捨てていたら、今とは別の人生を歩んでいたかもしれない、と今でも思い出す選択もあります。
人生の帰路に立ち、迷うこともたくさんあるけれど、
いつだって選ばない道が出てきます。
選んだ道で挫折をしたり、辛い、苦しい思いをするたびに、
あのとき別の選択をしていたらと思うことが、私自身何度かありました。
だけど、あるとき、
今私が生きている人生は、多くの選択肢の一つなだけ、なんだと思うようになりました。
発想は完全に中二病ですが、
別の選択をした私の人生は、別の選択をした私が、こことは別の世界で、精一杯生きているから、
あのとき諦めた未来を、別の選択をした私はきっと手にしているから、
だから、今この選択をした私の人生を、胸を張って生きようと、
そう考えるようになりました。
これからも、楽しいことばかりじゃないし、つらい思いも、苦しい思いもすると思いますが、
いつか別の道が見えるまで、この道を進んでいきます。
ゴールデンウィークあたりになったら、新しくブログを作ろうかなと思ってます。
ちなみに、自分の買った食べ物をひたすらアップするブログになる予定です。
最後に、私の大好きなクロノクロスのエピローグを引用して終わりたいと思います。
こうして、ひとつの物語は
幕を閉じる。
ながい時間が、すぎて・・・・・・・・・・
つかの間の夢はとおく過ぎ去り・・・・・・・・・
残されたのは、わたしと、
思い出だけ・・・・・・・・・・・・。
でも、いつかきっとまた会える、
あなたと、わたしは・・・・・・・・・・・。
別の場所、別の時間で・・・・・・・・・・・・・・。
互いにそうと気づくことは
ないかも知れないけれど・・・・・・・・・・・・。
知らない扉を開いて、
もうひとつの現実に出会う、
もうひとつの今日を生きよう。
物語は終わっても、
人生はつづく・・・・・・・・・・
だから、その時まで・・・・・・・・・・・
ごきげんよう。
分業のおしごとへの葛藤2
最後にどうしても書きたいことがあるので明日を最後の投稿にしたいと思います。
分業のおしごとへの葛藤、
もうひとつは、働く時間を自分でコントロールするのがとても難しい、ということでした。
ディレクターは忙しく、外出がち。
制作への依頼は夕方、定時を過ぎることも少なくはない。
デザイナーが既に帰っている場合、ちょっとした業務であれば自分が担当する。
デザイナーが残っていても、設計が必要になる作業であれば、デザイナーのデザインが完成するのを待ち、そこから作業に入る。
ディレクターが悪い?
とは思わない。
ほとんどのディレクターはたくさんの案件を掛け持ちしている。
一つの案件に割ける時間は少ない。どうがんばっても依頼が遅くなってしまうこともある。
そもそもお客さんの依頼が遅れた、という場合だってある。
一概にディレクターを責めることはできない。
ではデザイナーが悪い?
それも違う。
定時に帰って、定時後に修正依頼が来たら、咎められるべきでしょうか?
仕事がなかったら早く帰りたい。誰だってそうでしょう。
何も悪いことじゃない。
でも、今の会社では、職種に限らず
遅く残っている人が割を食うという現実があった。
作業者が早く帰ってしまえば、残っている作業者にお願いが行く。
残っている作業者は負担がより増える。
そして、仕事を引き受ける「可否」も、人によって違った。
無理に案件を引き受けない人もいれば、多少無理してでも、部署であふれた案件をもらう人もいる。
それは、個人が悪いと言われれば、それまでなのだろう。
遅くまで仕事をしたくなければ、嫌だと言えばいい。
でも誰も案件に入れなくて、誰かに振らざるを得ないとき、結局いつも「無理できる人」が割を食う。
案件が忙しくて手伝ってほしい、と言ったが、誰からも入れないと回答をもらったが、
実際には自分より早く帰っている人がたくさんいる。
誰も入れない案件を無理してもらって、ひとりで会社に残り、働く。
同僚への不信感が募り、孤独を深めていく。それを繰り返すと、そのうち、その人も、他の人が忙しいときに手伝わなくなる。
でも、
「じゃあみんなで仕事を分散しましょう」
ということは解決策にはならない。
「無理ができる人」と、「単に仕事が遅い人」の線引きが難しいから。
「早く帰れないのは仕事が遅いからでしょ?どうして私が手伝わなければいけないの?」
という場合も確かにあったから。
わたしには、その意見も理解できた。
だから、誰が悪いわけでもない。
それでも、そんな状況を見るたびに心が痛かった。
だから、手を差し伸べられるときは、なるべく差し伸べるようにした。
だけど、それも限界になって。
だから、結局、そこから目を背けたかっただけなんだと、思います。
その不公平さを見たくなかったから。だからその環境から逃げて、見ないようにしたかったんだと。
そう思いました。
分業のおしごとへの葛藤1
3月も終わりに近づき、かなりチラシの裏になっていて申し訳ありませんが、
どうかご了承ください。
このブログにも何度か書いていますが、
私は受託でWeb制作を請け負う会社で働いていて、
仕事は、ディレクター、デザイナー、コーダーで分業することが多いです。
特に私が働いている部署は、わりと大規模な構築案件を請け負うことが多かったので、
部署内のメンバーもデザインとコーディングを兼任する人はほとんどいませんでした。
とはいえ、元々コーディングしかできなかった私は、会社に入る前からWeb制作を分業でやることが多かったので、
「こんなデザイン組めなくない?」という状況には慣れていたので、逆に
「こんなデザイン組めないよね?というのをどうやって組むかが、自分の腕の見せどころだ」
と思っていました。
それに変化が訪れたのは、私が在職して、3年を過ぎて仕事にも慣れてきたころ。
CSS3が使われはじめ、スマホサイト、RWDサイトの案件が増えはじめたころでした。
今でこそフラットデザインが流行っていますが、
当時はCSS3が微妙に知られ始め、角丸やグラデーションがCSSでできるらしいよ!という情報だけがひろまり、デザインで多用され、
CSSで組んだら「IEでも同じ見た目じゃないとダメだって」といわれ結局画像で組みなおしたり。
角丸&グラデーションのボックスがあるたびに、たくさんdivを増やしたり、文字量が増えても大丈夫なように、背景画像を伸ばして実装してあげたり。
CSS3くらいならまだよかったのですが、
RWDにもなると、PCとSP、ワンソースで提供するにもかかわらず、そもそものワイヤーフレームの時点で、明らかにPCサイト/スマホサイトでコンテンツが違っていたり。
デザインで出来上がったものを見ても、PC幅、SP幅で使いまわすはずの画像の縦横比が違っていたり。
そしてそれと同じころ、キャリアをある程度積んで、周りが見えるようになって、
仕事を進めていくうえで納得ができないことも増えた。
先ほど挙げた例もそうですが、
自分よりも経験の浅いディレクターと組む機会が増え、お客様にちゃんと説明できてるのかな?と疑問に思ったり。
それとは逆に、自分が仕事でミスをしたときは、お客様とやり取りするディレクターが謝ることになる。
「謝るのがディレクターの仕事だから」
と言ってくれたけれど、申し訳なく思ったし、
自分で責任が取れればと感じることが多くあった。
それが積み重なっていくうち、分業で働くことに、ストレスを感じ始めるようになっていきました。
どうしてそうするのか、の理由がほしかった。
理由さえわかれば、divだらけのサイトだって作るし、IE8用のCSSを書くことだって納得できた。
理由さえわかれば、お客さんの要望に合う、別の方法を提案することだってできるかもしれない。
「自分ではどうすることもできない」部分が多いことにフラストレーションを感じ始めていた。
だから、仕事の全てを自分で全てできるようになれば、納得ができると思った。
自分ではどうにもできない「他人のせい」を少なくして、「自分のせい」の範囲を増やしたかった。
この会社でそれをするには、自分ひとりで案件を回せるようになるという選択肢しかない、と考えた。
でも、それを思いついたときには、既にフロントエンドエンジニアとしてのキャリアを積みすぎていた。
というよりも、もはやフロントエンドエンジニアとしてしか使い物にならなくなっていた、というほうが正しい。
私がディレクションもやり、デザインもやるということは、一人で回せる規模の案件しかやらないことになる。
大規模案件を持って、設計、JS、CMS構築にまで携わってきた人間が一人抜けることと同じだ。
そして今さら、ディレクションやデザインを学んだところで、ものになるのはずっと先だろう。
それは、会社にとってメリットがあるのか?
という疑問を、説得できる言葉が見つからなかった。
きっと私が、本気でそれをやりたいと言ったら、会社はきっとそのチャンスを提供してくれたと思います。
でも、それを提案できるくらいの、本気度と、覚悟が、私にはありませんでした。
その先も、その働き方で生きていくのか?と自分に問いかけたとき、
「そうだよ、ディレクションも、デザインも学んで、この会社でずっと働いていくんだ。」
という気持ちにはなれなかったのでした。
「好きなことを仕事にしてはいけない」という意味
今月でWeb制作のおしごとを引退する私ですが、
その退職理由の15%くらいを占めるのが「好きなことは仕事にしてはいけない」という言葉の意味に気付いたからです。
なのでそれについて書いてみたいと思います。
高校生のとき、自宅にWindows98がやってきて、
私はWebという世界を知りました。
そこから、HTMLを学び始め、大学に入学してから、Webサイトを作る仕事があること、
そして、HTMLを書く人=マークアップエンジニアという職種があることを知り、デザインセンスが皆無のわたしはそこからマークアップエンジニアを目指すことになりました。
文章をどうマークアップするか、考えるのが好きでした。
CSSでできることが増えるたびに、嬉しくて、
HTMLを、CSSを書くことが楽しくて、これを仕事にできたらいいなと思っていました。
世の中には、仕事は仕事と割り切ってこなし、プライベートを楽しむ人と、
好きなことを仕事にする人の2パターンがありますが、
私は完全に後者でした。
「好きなことは仕事にしてはいけない」という言葉は知っていましたが、
好きじゃないことを仕事にするのは考えられなかった。
就職活動のときも、Web制作会社以外は受けなかったし、
受からなければアルバイトで入社すればいいと思っていました。
ただ、実際に働いてみると、仕事としてのWebと、自分の好きなWebには隔たりがありました。
私はHTMLが好きだったので、なるべくキレイなコードを書きたかったけれど、
運用しやすさ、多様なデザインに対応するため、
たくさんのクラスが出現し、たくさんのマージン調整クラスを書き、たくさんのspanやdivが生まれていきました。
理想のマークアップは何度も思い描いたけれど、
それを仕事で生かせる機会は、本当にごくわずかでした。
(もし、自分が受託ではなく、内製の制作会社にいたら、違ったのかもしれないですが。)
でも、目的があれば、それは仕方がないことだと割り切れました。
そのサイトを運用するのは、自分ではないから。
だから、なるべく努力はするけど、ある程度目をつぶらなければいけない部分はある。
そう思って仕事を続けていました。
実際、HTMLやCSSを書くのは好きだから、今まで仕事を続けてこられたのだと思います。
だけどしばらくして、お客さんから「サイトをリニューアルしたらPVが2倍になりました!!」というお話を聞くよりも、
自分が納得したマークアップができたWebサイトを作ったときのほうが、ずっと嬉しいことに気付きました。
もちろん、お客さんのことを全く考えていないわけじゃなかった。
自分なりに、GAだって解析したしアクセシビリティだってユーザビリティだって考えて仕事はしていた。
それでも、一番嬉しいのは、自分の納得のいくマークアップができたときでした。
そのときに、
自分は、作品としてのWebが好きなだけで、商品としてのWebに興味がないんだ、ということが、わかりました。
そしてそれが「好きなことを仕事にしてはいけない」という言葉の意味だったのか、と、
理解しました。
絵が好きだからといって、デザイナーに向いているわけではない。
デザイナーは、デザインによって問題を解決する仕事。
自分が好きなようにデザインしていても、それが問題解決にならなければ、意味がない。
それと同じで、私は自分のフロントエンドの技術でお客様の問題を解決したかったのではなく、
ただ単純に、HTMLが、CSSが好きだっただけ。
ただ書くのが楽しかっただけ。
私はただ、実践で素早くマークアップをするよりも、じっくり考えて、納得のいくマークアップを探したかった。
クラスなんていっぱいつけたくなかったし、spanもdivも何重に使いたくはなかった。
デザインなんかよりもマークアップを優先させたかった。
納期なんかよりも、自分が納得いくまでマークアップを模索したかったんだと。
でも、それで食べていけるほど、私には技術力と覚悟がなかった。
絵が好きだからといって、誰もが芸術家になって食べていけるわけではないように。
好きなことは仕事にしていい。
その考え方は間違っていないと、今でも思います。
私の人生においては、好きじゃないことを仕事にするのは、やはり考えられないことなので。
でも、「絵が好きだから、デザイナーになる」というような安易な考え方をしてその道を選ぶと、いずれ続かなくなります。
デザイナーになれるのは、自分の持っているデザイン技術を生かして、お客様の問題をどう解決するか考えられる人、自分の持っているデザイン技術で、誰かを喜ばせることが嬉しい、と考えられる人です。
「自分が好きな絵を描きたい」のと、「絵を描くことが好きだから、それを生かして仕事をしたい」の間には、言葉以上に大きな隔たりがある。
それを今さら体感したので、書いてみました。
無期限更新停止のおしらせ
自分自身の中では、フロントエンドエンジニアとしての人生は現在の会社で終わりにするつもりでいます。
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